こんにちは!
海外の野球と言うと、一般的にはやはりMLBの印象が強いかと思います。
右肘手術からの復活を期す二刀流の大谷翔平投手(ロサンゼルス・エンゼルス)や、今年からアメリカ挑戦する菊池雄星投手(シアトル・マリナーズ)などの活躍に、期待されている方も多いんじゃないでしょうか?
しかし、野球で世界に挑戦しているのは何もアメリカでプレーしている選手たちだけではありません!欧州の地にも、新たな戦い場所を求めている日本人選手たちが沢山いるんですよ。
というわけで、今回は
- 欧州で過去にプレーした日本人選手・指導者
- 欧州で現在プレーしている選手・指導者
についてまとめてみましたので、最後までご覧ください。
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ヨーロッパ(欧州)野球に関してはこちらの記事でも紹介しておりますので、合わせてお読みください。
目次
欧州で過去にプレーした日本人選手・指導者
欧州野球には日本の選手も数多く活躍しているんです。
その選手栄冠の選手たちを紹介していきますね!
吉田義男
過去に欧州を主戦場とした経験を持つ日本の野球人の中で、間違いなくダントツの大物と言えるのが吉田義男さんでしょう。
1933年7月26日、京都府京都市中央区で生まれた吉田さんは、山城高校から立命館大学を経て、1953年に大阪タイガース(現・阪神タイガース)に入団。現役時代は華麗さと堅牢さを兼ね備えた遊撃守備の達人として、「牛若丸」の愛称で親しまれました。阪神の監督も計3度務めています。
そんな彼は現役引退後の1989年に渡仏し、翌年から1995年までフランス代表の監督に就任。93年までは国内リーグの球団、パリ大学クラブの監督も兼任しました。
当時、才能はあっても自分勝手なスタンドプレーが目立ち、低迷が続いていたフランス代表。そこに吉田さんが日本流のチームプレーや、スモールベースボールと呼ばれる小技を駆使したスタイルを植え付けたことによって、フランスは国際大会でも徐々に結果を残すようになります。
そんな彼が退任した後の1999年、フランスはヨーロッパ選手権で過去最高の3位に。それから20年が経った現在でも、フランス代表は欧州の中堅勢力として一定の地位を保つようになっています。
現在に至るまでのフランス野球の成長は、間違いなく吉田さんの指導の賜物と言えるでしょう。
フランス野球・ソフトボール連盟(FFBS)では彼の貢献をたたえ、2011年に吉田さんを日本人としては史上初めての名誉会員に選出しました。また、2014年からFFBS主催で始まった国際大会には、彼の名を冠して「吉田チャレンジ」との名前が付けられています。
https://twitter.com/ffbs_baseball/status/93367437172547584
G.G.佐藤(佐藤隆彦)
指導者という意味での大物が吉田さんなら、選手としての最大の大物はG.G.佐藤さんです。
G.G.佐藤(佐藤 隆彦)
587試合 .276(1835-507)
88本塁打 270打点 12盗塁 1犠打西武(2004-2011)
ロッテ(2013-2014)pic.twitter.com/oyI9HoDPbP— プロ野球通算成績bot (@npb_player_bot) March 9, 2019
1978年8月9日、千葉県市川市生まれ。桐蔭学園高校から法政大学を経て、2003年に西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)からドラフト7巡目で指名されます。
入団後はその長打力を生かすため、捕手から外野手に転向。08年には北京五輪の日本代表メンバーにも選出され、左翼のレギュラーを勝ち取りました。
「顔が爺臭いから」という理由で独特の登録名を名付けるなど、その明るいキャラクターでも人気を博したG.G.佐藤選手。「キモティー!!」と絶叫するお立ち台でのパフォーマンス、覚えてらっしゃる方も多いんじゃないでしょうか?
G.G.佐藤、最後のキモティー!!!#Saitamaseibulions pic.twitter.com/EzElPQNqmO
— SHUN (@shun0212tomJ) July 4, 2015
そんな彼はライオンズを退団後、2012年にイタリアのUGFフォルティチュード・ボローニャ1953と契約。
当時のレギュラーシーズン全42試合に出場し、打率.319(リーグ14位)、3本塁打(同13位タイ)、22打点(同23位タイ)、OPS.847(同16位タイ)という成績を残しました。
残念ながら、チームとの方針の違いなどもあって8月21日に解雇となってしまったものの、NPBのトップレベルに上り詰めた元日本代表クラスのプレーヤーが、欧州を舞台に1シーズン戦ったという事例はそれまでなく、彼の挑戦は間違いなくエポックメイキングなものであったと思います。
池永大輔
吉田さんやG.G.佐藤さんと比べれば、これからご紹介する池永さんは全国的な知名度はないかもしれません。それはこの2人と違い、彼は現役中にNPBでプレーした経験を持っていないためです。
しかし、欧州を舞台にプレーする日本人野球選手にとって、また野球選手としてのいわゆるエリート街道から外れた選手たちにとって、彼の存在がとても大きなものであることは間違いないでしょう。
https://twitter.com/IkenagaDaisuke/status/1104708092837605376
1980年7月17日、東京都台東区生まれ。草加東高校を卒業後、千葉県大学野球リーグに所属する中央学院大学に進学しますが、そこで自分の目指す野球とチームの方針が異なったことから対立があり、途中で退部することとなってしまいます。
それでも野球への思いが断ち切れなかった彼は、大学卒業後に渡米しトライアウトを受ける日々を続けます。そんな中、2005年に結成された日本人チーム「ジャパン・サムライ・ベアーズ」に入団。チームはそのシーズン限りで解散するものの、ここから彼のプロとしてのキャリアが始まりました。
欧州では翌年にドイツ・ブンデスリーガのマインツ・アスレチックスに入団したことを皮切りに、ドイツ・フランス・スペインの3か国5球団でプレー。この間、選手兼任監督として一軍や二軍の指導を任されたり、出場機会を増やすために内野手から投手に転向したり、さらにはヨーロッパ選手権でフランス代表のコーチを務めたりと、様々な経験を積みました。
日本・アメリカ・オーストラリア・ドイツ・フランス・スペインと、言葉も文化も違う様々な国で選手や指導者として奮闘し続けた池永さん。現在は野球グラブメーカーATOMSで、第2の人生をスタートされています。
現在欧州を拠点に活動中の現役選手・指導者
続いて現在でも活躍中の選手や指導者を見ていきましょう!
片山和総
下の名前は「かずさ」と読みます。1993年5月25日生まれ、福岡県出身。ドイツ・ブンデスリーガ1部のケルン・カージナルスに所属し、今年で4年目を迎える内野手です。
【プロアスリート トークイベント】
3月2日14時と19時から
スポーツトークイベント開催‼︎
ドイツでご活躍中のプロ選手をお招きして体づくりのことや海外へ挑戦している経験談などお子様や親御様向けにお話し頂きます。
種目は野球に問わず参加可(^^) https://t.co/AZz5KWZ9je#片山和総 選手 pic.twitter.com/oWmNS7zlC5— 伊都アクティブカフェ新-Arata-【地域の保健室&ヘルシーカフェ】 (@itocafe_arata) February 8, 2019
ドイツでは基本的に、他に本業を持ちながらプレーするアマチュア契約の選手が多い中、彼は数少ないプロ契約を勝ち取ったプレーヤーの1人です。普段はトレーニングに励みながら、球団のPR活動にも積極的にかかわっています。
彼のような「助っ人外国人」は選手として一軍レギュラーの一角を占める傍ら、各球団が保有するユースチームでの指導も任されるのが通例ですが、片山選手もまたU15(15歳以下)世代の2つのチームの監督を務めています。まだ20代半ばの若さにして、指導者としても信頼を勝ち取っているのが凄いですよね!
また、片山選手について忘れてはならないのがその情報発信活動。現在、YouTubeにて「KAZUSA ワタリドリCH 」を開設しており、独自の野球理論や世界の野球情報を積極的に発信しています。また、Twitterでも日頃から積極的に野球界に対する自身の意見を発信中です。
返田岳
苗字は「そりた」と読みます。1988年生まれ、山梨県出身。本職は捕手ですが、内野手や投手なども兼任する「三刀流」プレーヤーです。
https://twitter.com/nikosorit/status/1105665432692772864
慶応義塾大学を卒業後、2014年に関西独立リーグの06ブルズでプロ野球選手としてのキャリアをスタートしました。欧州では前述の片山選手と同じケルン・カージナルスの他、シザック・フロッグス(スイス)とブラスチャート・ブレーブス(ベルギー)でプレーしています。
また日欧以外にも、アメリカ・オーストラリア・プエルトリコ・メキシコと様々な国を渡り歩いているのが特徴。彼のように、海外を主戦場とする日本人選手は文字通り世界を股にかけることが多いです。
さらに野球選手としてだけでなく写真家としての顔も持ち、2010年と11年には「MODE & SCIENCE FASHION SHOW」というイベントで展示も実施。学生時代は慶大大学院まで進み、政策・メディア修士の学位も持っています。
まさにオールラウンドな才能に恵まれている返田選手。これから行く先々でどのような活躍を見せてくれるか、楽しみですね!
坂梨広幸
福岡県福岡市出身。2003年に山口大学を卒業後、翌年からオーストリアのウィーン・ワンダラーズでキャリアをスタートしました。
ただ野球を続けたくてここに来て15年、まだ野球に携わらせていただいて、このような形で@numberweb 社に記事にしていただきました。ありがとうございます。
いい選手を育てるのもそうですが自分自身ももっといい選手になれるようこれからもやるべきことを継続していきます。
https://t.co/Paf1eNKCVi— Hiro (@mrrunningsushi) February 19, 2019
2009年には選手兼任監督として国内リーグ「ABL(オーストリアベースボールリーグ、現ベースボールリーグ・オーストリア)」を制覇。2013年からは3連覇を達成し、チームを国内随一の強豪に育て上げます。
そうした手腕がオーストリア野球連盟に評価されて、育成年代の代表コーチや監督を任された後、2015年から選手として現役を続ける傍ら、オーストリア代表監督に就任。昨年、リトアニア代表との間で行われたヨーロッパ選手権予選のプレーオフを勝ち抜き、チームを今年9月の本大会(ドイツ・ボン)に見事導きました。
しかし坂梨選手にとっては、最初から海外でプレーすることが憧れだったわけではありません。上にリンクを張ったスポーツ紙Numberの特集記事では、彼のオーストリア野球との出会いについてこのように書かれています。
山口大学で英語教師を目指しながら軟式野球部でプレーしていた坂梨は、4年生のときに地元山口で行われた世界少年野球大会に運営スタッフとして参加した。得意の英語を活かして外国人コーチのアシスタントを務めていたところ、オーストリア代表チームの関係者からオーストリアでプレーしないかと勧誘される。当時、採用試験に失敗して進路に悩んでいた坂梨は、二つ返事でこの提案を受けた。
『欧州の、こんなところに野球人が!オーストリア代表監督・坂梨広幸』
恐らく、当時の坂梨選手はこの話が来るまで、自分が遠いオーストリアの地で野球をやることになるとは想像すらしていなかったでしょう。そんな彼が15年かけてかの地の野球界に種をまき、選手としても指導者としても球界を引っ張り続け、ついには代表監督にまで上り詰めたというのは、とても凄いことです。
スポーツの国家代表の指揮官という、重責を負った職を手にできる人材がどれだけいるかと考えれば、如何に彼が価値あることをなしてきたかが分かりますよね!
渡辺龍馬
1989年1月19日生まれ、秋田県秋田市出身。ポジションは投手及び内野手。2011年に流通経済大学を卒業後、プロ野球選手としてのキャリアをスタートしました。
2014年、前述の坂梨選手に誘われてウィーン・ワンダラーズで2シーズンにわたってプレー。その後、現在の所属先であるポーランドのシレジア・リュブニクに選手兼監督として入団します。3シーズンにわたってチームを率いて、昨年は国内リーグ「ポーランドエキストラリーガ」を制覇。さらにカップ戦も制して2冠を見事勝ち取りました。
その手腕が評価され、渡辺選手は今年からポーランドのフル代表及びU23代表の監督に就任。どちらのチームにおいても、アメリカ人コーチであるダニエル・カタラン氏のサポートを得ながら指揮を執る予定です。
https://twitter.com/IBC2k18/status/1095767592986427392
ポーランド代表は今年、スロバキア・トルナーバで行われるヨーロッパ選手権予選に出場予定。もちろん彼の目標はこの大会で優勝し、チームを次回のヨーロッパ選手権本大会に導くことです。渡辺監督の手腕に期待したいところです!
まとめ
今回は
- 欧州で過去にプレーした日本人選手・指導者
- 欧州で現在プレーしている選手・指導者
についてまとめてみました。
「アメリカならまだしも、野球そのものになじみのない欧州でプレーしている日本人選手なんているの?」と、この記事を開いた際に思われた方もいらっしゃるかと思います。しかし実際には、様々な国で日々戦い続けている選手たちが確かに存在するのです。
世界の野球界において、欧州は必ずしも陽の当たる場所ではないかもしれません。それでも、1人1人が思いを胸に白球を追い続けているということを、是非1人でも多くの日本の野球人の皆さんに知っていただけたら嬉しいです。
それではまた!
ヨーロッパ(欧州)野球に関してはこちらの記事でも紹介しておりますので、合わせてお読みください。
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