こんにちは!
水泳生活を始めてから長い時間が経ちます。わが子によってこんな長く続けるとは思ってもいませんでした。
今では、水泳と言えば全身運動なので、健康やダイエットにもすすめられていますね。
そう言えば、わが子の中学の体育の先生はテストに歴史やオリンピックに関する問題を出題していたことを思い出しました。
先生いわく、みんなに興味を持ってもらいたいと思ったからだそうです。オリンピック出場の水泳選手のフルネームを書けなんて、なかなかな問題ですよね。
しかも漢字で笑。なので、100点取るのは難しかったです。
ところで、みなさんは水泳の歴史を知ってますか?私は競泳ばかりで歴史なんて全く知りませんでした笑。
そして今回は、
”水泳の歴史をクロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライとケースごと”
に水泳の歴史をわかりやすく解説しますね!
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水泳に関してはこちらの記事でも紹介しておりますので、合わせてお読みください。
目次
水泳の歴史をわかりやすく解説!
水泳の始まりは、9000年前の古代壁画にも人が泳いでいる姿が描かれていたり、ギリシャ神話にも泳ぐ場面があります。
オリンピックでは第1回のアテネ大会(1896年)から水泳は行われています。
1920年アントワープ大会で日本は初めて参加しました。
1896年第1回大会の水泳の種目は、
- 100m自由形
- 500m自由形
- 1200m自由形
- 100m自由形(水兵参加)
で、男子のみの参加でした。
場所はプールではなく、海で開催されたんです。驚きですね!
では、4泳法の歴史を紹介します!
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水泳のクロールの歴史
両手で交互に水をかき、両足を交互に上下に動かして泳ぐ泳法です。
クロールとはCrawl「腹ばいで進む」という意味です。
全身がもぐらずに、水面を素早くはっているように見えるためにつけた名称です。現在は1番速く泳げる泳法で自由形種目はクロールで泳ぎます。
第1回アテネオリンピック(1896年、日本は明治29年)から自由形は始まりました。
しかし、実際泳いでいたスタイルは、平泳ぎだったのです。それが当時1番速く、息継ぎはしていませんでした。
2000年シドニーオリンピックで、オーストラリア代表マイケル・クリムがクロールとは違った泳法で世界記録を更新しました。
4×100m自由形リレーの決勝、第1リレー泳者として出場し、その時の記録が世界記録として認められました。
100mの残り10mの距離を新しい泳法で泳いだのです。
手はクロールで、足はバタフライです。ドルフィンクロールです。(バタ足よりもドルフィンキックの方が速い)
このドルフィンクロールは、100m泳ぐとかなりの消耗のため、長距離を泳ぐのは向いていません。
水泳選手から俳優へこんな選手がいましたよ!
1922年で100m自由形で、1分の壁が破られました。
アメリカのジョニー・ワイズミュラーで記録は58秒6でした。
2秒4も短縮して世界記録を出したんです。100、400m、自由形リレーで3つの金メダルを獲得しました。
その2年後のアムステルダム大会は100m、自由形リレーで2つの金メダルを獲得しました。
その後彼は母国の英雄となり、引退後は俳優に転身しました。水泳の筋肉の身体を生かして「ターザン」の役を演じ、人気を獲得しました。第2の人生ですね。
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水泳の平泳ぎの歴史
平泳ぎは、左右対称に手を胸の前でひとかき、足を後ろにひとけりの動作を繰り返す泳ぎ方です。ブレストとも呼ばれています。
20世紀の初めは平泳ぎが最も速く泳げる泳法だと思っていました。スポーツとしての水泳が始まる前から、イギリスの貴族は平泳ぎで楽しんでいたと言われています。
平泳ぎでの歴史的名言集
「今まで生きてきた中で1番幸せです」
1992年、バルセロナ大会200m平泳ぎ、当時14歳の岩崎恭子さんの言葉です。
https://twitter.com/ketchup120674/status/961092228843175942
予選で自己ベストを4秒近く縮める日本新記録をだしたんですよ。決勝もさらに記録更新をして金メダルを手にしました。
今でも日本人最年少金メダリストとして記録が残っています。
- 「ちょ~気持ちいい~」
- 「何も言えね~」
2004年アテネ大会100m、200m平泳ぎ(五輪新)当時21歳の北島康介さんの言葉です。
同じく2008年北京大会当時25歳で、100m(世界新)、200m(五輪新)金メダルを獲得しました。
有名な名言ですよね。2大会連続の金メダル獲得となり、とても感動しました!
平泳ぎのルールに泣いた選手
平泳ぎはルールが変わりやすい種目です。
1978年、200m平泳ぎで高橋繁浩さんは世界記録をだしたのですが、頭が沈む泳ぎ方でルール違反とされました。
その後思うような泳ぎができず、引退します。
その後、ルール改正で1988年ソウル大会に出場しましたが、メダルは取れませんでした。
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水泳の背泳ぎの歴史
仰向けの姿勢で泳ぐ泳法です。背泳とも呼ばれます。クロールをそのままひっくり返したような泳法のため、バックストロークとも言われます。
古くから海や川で救難活動は背泳ぎで行われていたそうです。1912年、ストックホルム大会で今のような背泳ぎが登場しました。
平泳ぎのような背泳ぎは1900年のパリ大会から背泳ぎは始まりました。
背泳ぎの最初のキックは平泳ぎのようなカエル足でした。
それを現在の背泳ぎへと変えたのが1912年ストックホルム大会100m背泳ぎで金メダルを獲得したヘブナーでした。練習中にクロールを裏返しにしたら速い!と気づいて、見事オリンピック記録で金メダルを取りました!
日本人選手がメダルを独占した1932年ロサンゼルス大会で、4年前に200mの背泳ぎの世界記録を更新していた清川正二さんをはじめ、入江稔夫、河津憲太郎の3人の選手は100m背泳ぎに出場し、見事1位、2位、3位でゴールしました。同じ国からは1種目2名までしか出場できない現在ではありえない記録となりました。
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水泳のバタフライの歴史
バタフライは平泳ぎから変化して生まれた泳法です。
両足をそろえて水をけるキックはイルカの尾ひれの動きに似ているので、ドルフィンキックと言われています。
リカバリーで両手を広げた姿が、ちょうちょに見えるので、英語名のバタフライという名前がつきました。
バタフライは水泳の歴史上最も新しい泳ぎ方です。
平泳ぎが進化してできた泳法です。1928年アムステルダム大会で、初めて登場しました。ひとつの種目として認められたのは、1956年メルボルン大会です。
ドルフィンキックは日本人により誕生し1928年アムステルダム大会で、ドイツのラーデマッヒェルが腕を水上にだしてリカバリーをしたのがバタフライの誕生のきっかけです。
1956年メルボルン大会からバタフライは独立した種目で行われるようになりました。
当時のキックは平泳ぎと同じで、長沢二郎さんがひざの怪我のため練習ができなかった時に生まれたものです。
試しに両足をそろえてクロールのように上下にキックしたところスピードがでたことで、現在のドルフィンキックとなりました。
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まとめ
今回は、
”水泳の歴史をクロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライとケースごと”
に紹介しました。
日本は昔から水泳が強かったことがよくわかりました!
その陰で日本が世界記録を出すたびに、ルール改正が行われ、苦しめられていました。
偶然というか日本にとって不利のように感じてしまいました。それでも日本は負けずに次々と有力選手が生まれてます。ジュニアからの選手層も確実に育っていますよね。わが子の知り合いもまさに上を狙える人材なので本当に楽しみです。
確実に強くなっていく姿を見ていると前向きな気持ちになります。そんな水泳に少しでも興味を持っていただければと思います。ぜひ、日本の選手を応援してくださいね!
水泳に関してはこちらの記事でも紹介しておりますので、合わせてお読みください。
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