こんにちは!
今やラグビー日本代表の顔といえる選手はーーー、
そう、リーチマイケル選手ですね。
前回のワールドカップで、日本代表のキャプテンを務めました。
そして今回も、キャプテンという大役を任されています。
見た目もさることながら、プレーでも引っ張る、本当に頼もしいキャプテンですよね!!
今回は、リーチマイケル選手のプレースタイルや戦績、所属チームなどの経歴プロフィールを紹介します。
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目次
リーチマイケル選手の経歴プロフィール・所属チームを紹介!!
幼い頃から大学時代まで
リーチ選手は、ニュージーランドの南島で最大の都市、クライストチャーチ出身です。
ニュージーランド出身であの顔立ちなのは、お母さんがフィジー出身という理由があります。
そのお母さんがラグビーファンだったので、5歳でラグビーを始めました。
いかにもニュージーランド人っぽい理由ですね。
15歳のときに、札幌山の手高校の留学生として来日しています。
来日当時は今ほど体格が大きくはありませんでした。
ラグビーをしてきて一番辛かったことは、「高1のニセコ合宿」だったそうです。
対戦相手から、「あの外国人たいしたことないな」と言われたこともありました。
始めからスーパーな選手ではなかったのですね。意外です。
しかし、ホームステイ先がお寿司屋さんで、そこでたくさん食べさせてもらえたこともあり、3年間で立派な体格となりました。
高校卒業後は、東海大学に進学しています。
2年生の時に、ワールドラグビーU20選手権の日本代表に選出されました。
そして同じ年、2008年11月16日のアメリカ戦で、日本代表の初キャップを得たのです。
これがフル代表デビューですね。
4年生のとき、ラグビー部のキャプテンになりました。
今でこそキャプテンのイメージが強いです。
しかし当時のリーチ選手は、「自分はキャプテンに向いていないから、もう2度とやらない」と当時は思ったそうですよ。
社会人になってから現在まで
大学卒業後は、東芝ブレイブルーパスに加入しました。
ジャパンラグビートップリーグでは、ずっと東芝ですね。
東芝ブレイブルーパスのホームページのは、いろいろなデータが載せられています。
試合の前には、自分の部屋の掃除をするそうです。
ニックネームは「Reach」とのこと。
ーーーーーリーチ。同じやん。
スーパーラグビーでは、地元ニュージーランドのチーフスに加入しました。
2013年に1度加入しましたが、ケガで契約を解除されました。
しかし2015年に再び加入し、フォワードのリーダー格にまでなるほど信頼を勝ち得ました。
スーパーラグビーのチーフスの試合を何度か見たことがありますが、チームですごくなじんでいるように見えました。
元々ニュージーランド人なので当然なのですが。
2018年にチーフスを離れ、日本のサンウルブズに移りました。
チーフスが、若手に出場機会を与える方針に切り替えたという事情もあります。
しかし何よりも、次の年のラグビーワールドカップを見据えての決断でした。
日本代表では、エディー・ジョーンズ前監督に日本代表のキャプテンに指名されました。
2度とやらないと決めたキャプテンでしたが、史上2人目の外国出身の日本代表キャプテンとなったのです。
2015年のワールドカップ南アフリカ戦で引き分け狙いを避けた、いわゆる「ブレイブコール」は世界から賞賛されましたね。
大学の同級生と2012年に結婚しています。
初対面からしばらくは、リーチ選手からは話さなかったそうです。
シャイかよ。
2013年に、日本に帰化しました。
「マイケル・リーチ」から、「リーチマイケル」に変わったのです。
日本人の名前に「・」は使えないので、表記もこうなるのですね。
2015年、奥様と2人で「Cafe +64」をオープンさせました。
+64とは、国際電話のニュージーランドの国番号です。
テレビで度々このお店が紹介されています。
大きな体で食器洗いなどを手伝う、リーチ選手の姿が印象的でした。
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リーチマイケル選手の戦績を紹介!!
札幌山の手高校では、1年生の時からレギュラーになりました。
3年連続で冬の全国高校ラグビー選手権に出場しています。
高校日本代表にも選ばれていますね。
東海大学でも、1年生からレギュラーです。
大学選手権で準優勝1回、ベスト4進出1回の原動力となりました。
3年生の時の準優勝は、東海大学史上初めてのことでしたね。
東芝ブレイブルーパスでは、まず加入した2011-12シーズンに、トップリーグ新人王を受賞しました。
その後、ベストフィフティーンを5度も受賞しています。
まさにトップリーグの顔ですね。
東芝では優勝を経験していませんが、加入してから5年連続で3位以内に入り、安定した成績を残しています。
チーフスでは42試合に出場し、2016、17年と2年連続でプレーオフの準決勝に進出しています。
2015年には、チーフスのルーキーオブザイヤーに選ばれました。
サンウルブズでは、2020現在で8試合の出場にとどまっています。
しかし、チームのリーダー役という重要人物であることに変わりありません。
ラグビーワールドカップには、2011年と15年の2大会でメンバー入りしました。
どちらも4試合フル出場していますね。
そして、1トライずつ挙げています。
しかし何よりも、南アフリカ戦をはじめとして、2015年のワールドカップで3勝したことが最大の戦績であることは疑いようもありません。
リーチマイケル選手のプレースタイルは?
ポジションはフランカーまたはナンバーエイトで、いずれにしてもフォワード3列目です。
日本代表ではマフィ選手にナンバーエイトを譲り、大体は6番か7番ですね。
実際ラグビーワールドカップで出場した8試合はすべてフランカーでした。
フランカーというポジションは、球際で体を張ることが多いです。
ブレイクダウンでボールを奪い合ったり、ボールキャリーで相手に突っ込んでいったり。
特にリーチ選手は、ボールキャリーでの信頼が厚いですね。
実際2015年の南アフリカ戦での最後の攻撃、7フェイズ中3回もリーチ選手にボールが託されていました。
相手に突進してタックルで倒され、また立ち上がってボールを受け取り突進。
これを3回も繰り返していました。
しかも、試合終了間際です。
そりゃ信頼されるわけですよね。偉大なキャプテンです。
リーチ選手は190センチ110キロと、堂々たる体格です。
それでもランナーとしても優秀で、トライを取り切るスピードもあります。
この大きく発達した下半身が、リーチ選手のプレーを支えています。
スクラムで、ボールキャリーで、その筋肉が活躍してくれているわけですね。
まとめ
今回は、
- リーチマイケル選手の経歴プロフィールや所属チーム
- リーチマイケル選手の戦績
- リーチマイケル選手のプレースタイル
を紹介しました。
今でこそ日本代表のキャプテンとして、リーチ選手は揺るぎない存在です。
しかし本人は、キャプテンをやりたくなかったとは意外ですよね。
本人は拒んでも、献身的なプレーぶりでチームを引っ張ることになります。
なので、チームリーダーとなるのは必然の流れですよね。
リーチ選手にとっては3回目、キャプテンとして2回目のラグビーワールドカップがやってきます。
リーダーとして、キープレーヤーとして奮闘するリーチ選手を、皆さん応援しましょう!!
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